はじまりの地
自らを変容させながら時代を歩む
旧刈羽郡中通村赤田北方、私たち太田材木店はここで生まれました。当時、履物の主流だった下駄に使用する桐の扱いを始めたのは、太田長次郎。戦後の混乱の中、一族を養うための選択でした。長次郎は県内だけでなく遠く九州までその材を求め事業を軌道にのせていきました。高度成長期を迎える頃には、その商材は下駄の桐から住宅建設用の木材に変わっていました。
ライフスタイルが変化し住宅需要が高まることを予測してのことでした。
時代の変化を察知し、自らを変容させる姿勢を持つ創始者は、今も私たちにとっては誇りであり、太田材木店のあるべき姿勢だと捉えています。
かつて油が湧き出て田が赤くなったことから、その地名がついたとも言われている旧刈羽郡中通村赤田北方が、私たち太田材木店のルーツです。戦国時代に築かれた赤田城は、御館の乱の際には上杉景勝方の要衝となり、城跡の下には名刹・東福院が開基500年以上経た今も当時を偲ばせています。そんな地に、創業者・太田長次郎は農家の長男として生まれました。戦後の混乱の中、長次郎は一家を養うために田畑の仕事に励むとともに、当時、履物の主流だった下駄の材料を取り扱う材木商を始めました。その後訪れる高度成長期には、ライフスタイルの変化への先見と進取の精神で、建築木材を扱い事業を育ててきました。
おおらかさを漂わせながらも、仕事には厳しい人だったと長次郎を知る先代からの話です。睨まれると震え上がる眼光の持ち主だったそうです。そんな厳しさの裏には激動の時代を切り開く必死さがあったのかもしれません。
刈羽の山と田んぼに囲まれた赤田。先般、私たちは東福院の100年に一度の屋根替えを拝命し、無事終わらせることができました。すぐそばを北陸自動車道が通り行き交う車の姿が見える脇で、里山の景観が残されたこの地を私たちは大切にしています。
つなぐ
その想いも木も生かされていない
ここ1、2年で思うことがあります。
「家を建てる人たちにとって、木は興味の対象になっていないのでは?」
これから長く住もうとしている家を、支えているその木が国産なのが外材なのか、あるいは集成材なのか。時には「お宅の柱は何処産の木です」という説明があるかもしれませんが、施主さんにしてみれば、トータルで気に入る家が納得の予算でできれば良く「それ自体が"知りたい"対象になっていない」、そんな感覚を抱きます。
新潟の山を見るとき、確かに山には木が存在しています。けれど、その山に一歩入ると大半は荒れているのをご存知でしょうか。この木々たちはかつて先代や先先代の人たちが植林をし、何年かは手をかけて成長を見守っていたはずです。「50年先に役に立ってくれれば」孫世代に向けた想いもあったことでしょう。ですが今、その思いも木も生かされていません。それどころか育った木はバイオマスの燃料として、建築用材として使われることなく伐採されていきます。燃やされるために成長してきた訳ではないはずです。時代の流れもあるかもしれませんが、なんとも木がかわいそうです。
ただ、そんな中でも新潟の木は粘り強さを失っていません。雪に引っ張られ風に揺すられながらも上へ上へと伸びるのが新潟の木の特徴です。そんな木のことを、みなさんにわかってもらいたいと思うのです。
山にお金を戻す仕組みを
日本の林業は採算が厳しく、従事する人にお金が回らないことが山の荒廃を加速させています。私たちは、自らが扱う木材のトレーサビリティ(流通の経路を生産段階から最終的な消費段階あるいは廃棄段階まで追跡が可能な状態)を明確にすることで、エンドユーザーから産地への流れを作りたいと考えました。そうすることで一生懸命整備した林には、またそれだけのお金が戻ってくる、循環の再構築です。使う人が少しずつお金を出しながら、みんなで底上げして山にお金を戻していく流れを作りたいのです。林業は1年で結果が出ません。次やその次の世代になってようやく結果が見えてきます。森林自体が循環していない中、今それを動かすのは容易ではありません。けれどそうしなければ、山はどうしようもないところに来ています。「自分の家は、地元の山で育った木で造りたい」と思ってもらう仕組みを作ろうと、トレーサビリティに取り組んでいます。
新潟の山の木を、新潟で使う
今、私たち太田材木店では、新潟の山で育った越後杉を、太田長次郎の名前を取り入れた建築用材「越後長次郎杉」に生まれ変わらせ、その産地や製材記録を記載したトレーサビリティを印字し流通させています。自社の家づくりでも"長次郎ハウス"や"長次郎リノベーション"として、新潟の山で生まれ育った木による建築事業を展開しています。オフィスに森をつくる"職場空間向上委員会"も動き出しました。新潟の山の木を新潟で使う、それは地域経済に貢献するだけでなく「身近な森林の再生」や「循環する環境」を未来に繋ぐことにもなります。そのプロセスをみなさんとご一緒できることを願っています。